HISTORY 丸福樓の歴史

山内任天堂 旧本社社屋
山内任天堂 旧本社社屋
丸福樓 安藤忠雄氏スケッチ
丸福樓 安藤忠雄氏スケッチ

山内任天堂 旧本社社屋

山内任天堂旧本社は合名会社山内任天堂時代の本社として1933年(昭和8年)に、
任天堂創業者の山内房治郎と妻、そしてその息子、積良によって建てられました。
三棟からなるこの建物は営業所としての社屋、本宅、倉庫としての機能をもっていました。
三棟の設計は共に増岡建築事務所の増岡熊三氏によるもので、建てられた時期は少しづつ異なり
表現の異なるデザインをもちいながら、外壁は先斗町歌舞伎座と同じ、
レンガタイル(スクラッチ・タイル)を幾何学的に配置し水平線を強調した、
ライト式*のモダンなデザインで統一されています。
また正面通に面した社屋棟は、定規で引いた様な直線とコンパスを使って描かれた様な
カーブの連続が特徴のアールデコ様式の完全な洋風建築になっているのに対し、
本宅・倉庫棟は、1930年代にモダニズムな日本建築の要素を加えた
「日本的なもの」の広がりに影響された帝冠様式*を採用、
当時ならではの和洋折衷の美しい建築を見ることができます。
*ライト式 … フランク・ロイド・ライト(1867年6月8日-1959年4月9日)アメリカの建築家。
ル・コルビュジエ、ミース・ファン・デル・ローエと共に「近代建築の三大巨匠」と呼ばれ、
代表的な建築は日本国内に、旧帝国ホテルや自由学園明日館などがある。
*帝冠様式 … 1930年代に流行した鉄筋コンクリート造の本体に瓦屋根を乗せた建築様式のこと。

山内任天堂の歴史

1889年9月、山内房治郎がここからほど近くにあった空き家を買い取り、
その地に「任天堂骨牌」(山内房治郎商店)を創業しました。
花札やかるたを製造・販売し、創業より13年後の1902年には日本初のトランプの製造を開始します。
その後、ここ(京都市下京区正面通木屋町東入ル)に移り、
1993年合名会社山内任天堂として任天堂骨牌の事業を開始します。
1949年に丸福かるた販売株式会社(旧丸福株式会社)へと名前を変え、
1959年までこの地で営業を続けました。

丸福樓

2022年4月、ホテル〈丸福樓〉として開業。
安藤忠雄氏が設計監修を手掛け、任天堂の前身である
かるた·トランプの製造販売を事業の柱としていた任天堂の前身
〈株式会社丸福〉の名をホテルの名称に冠しました。
ホテルは3つの建物で構成されており、2棟は地上3階建ての「既存棟」、
1棟が地上4階建ての「新築棟」(既存棟の一部を解体・修復したうえで増築した建物)。
敷地面積:802㎡、延べ面積:1716.08㎡
(既存棟:1180.60㎡、新築棟:535.48㎡、客室数:18室 各33㎡~79㎡)
構造はいずれも鉄筋コンクリート造。
既存棟の改修および新築棟の設計は安藤忠雄建築研究所(大阪市)と
ノム建築設計室(京都市)、施工は大林組がそれぞれ手掛けました。
既存棟と新築棟を並べてつなぎ、創業当時の記憶を色濃く残している新旧の融合を掲げ、
既存棟には手を加え過ぎないよう調整をはかりながらも快適に過ごせる場を創出する
リノベーションホテルとして歩み始めました。